中学校の担任制度は 小学校に比べて子どもとの関わりがぐっと減ります。
担当教科やホームルームの時間くらいが接点でしょうか。
熱心な先生との日々
息子が不登校になった中学2年のときの担任は とても熱心な先生でした。
いつも申し訳なく感じながら
毎日のように電話に応じていたのを覚えています。
先生は不登校の理由を知りたくて 連絡を絶やしませんでした。
学校としての決まりがあったのかもしれません。
私は息子の様子を伝え 先生の見解を聞き、支援の提案を受け取る──そんな日々が続きました。
学校行事のプリント、遅れている学習のプリント、席替えの結果まで、毎週のように届けてくれました。
クラスメイトからのビデオメッセージや寄せ書きまで…。
ありがたさと同時に、正直 しんどさでいっぱいでした。
電話の音やインターホンにさえ
『逃げたい』と思ってしまったことを、今でも覚えています。
担任が変わって、空気が変わる
進級して担任が変わると、雰囲気は一変しました。
定年間近のベテランの先生は、こう言ったのです。
「教科書やプリント、見ていますか? 必要なければ無理に持っていきませんよ」
「そんなことも許されるの?」と驚きつつ
私はこの提案に救われました。
逐一報告しなくていい。謝らなくてもいい。
月に二回ほどの業務連絡だけで、気持ちがずいぶん楽になったのです。
「とりあえず今を考えよう」と思えたのは この先生のおかげでした。
“必死な母親”が息子に伝えてしまったこと
振り返れば、最初の担任の先生にも「負担になっている」と伝えてよかったのだと思います。
誰かが必死になってくれたことを 私は重荷に感じてしまった。
それはきっと、息子にも同じように伝わっていたはずです。
私の“必死さ”が、彼をさらに追い込んでいたのかもしれません。
もっと“適当”でよかった
今思うのは、「もっと適当でよかった」ということ。
どうしよう、ああしようと眉間にしわを寄せる母親を
子どもはどう見ていたでしょう。
「大丈夫よ」と笑って、日常を淡々と回す。
やるべきことだけ管理して、それ以外は軽やかに流す。
あの頃、そんなふうに過ごせていたら、あんなにもがかずに済んだのかもしれません。
いま苦しい親御さんへ
いま苦しい親御さんも、どうか少し肩の力を抜いて。
“適当感”を意識するだけで、心が少し楽になります。
週に何日かでも、現実を忘れて笑える時間を持ってください。
必死になっていても、笑っていても、やるべきことは変わらないのです。
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