不登校児の母だったはなし。

我が家の末っ子長男は中学時代不登校児でした。

このブログを立ち上げた理由のひとつに

この不登校の話を書きたかったという思いがあります

元不登校児の親として

わたしのブログのこの不登校のカテゴリでは

ちょっと役には立たないけども

少しでも安心できるような、心が明るくなるような

そんな話しをしたいと思っています。

なぜなら

私自身も不登校児の母親だった頃

夜な夜な検索して泣いてばかりいたからです。

支援を拒否する我が子との日常

どれだけ検索しても出てくるのは行政支援の話ばかり。

スクールカウンセラー、保健室登校。フリースクールに通信高校の案内。

けれど我が子の場合

そもそも学校自体に拒否反応を示していたので

当然学校から繋がった行政の支援は

その内容を聞くことすら嫌がりました。

見えない出口と未来の不安が押し寄せてきて

本当に毎日が息苦しかったのを覚えています。

この先に何があるのか。どうなっていくのか。

誰にもわからないのに、何か希望が欲しくて

毎日検索して 検索して・・余計不安をため込むのです。

孤立して抱え込んだ日々

そこからわたしは

なんとか家に引きこもらせないようにと躍起になり

ひたすら調べて得た情報をもとに

数時間でも受け入れてくれる場所はないかと ひたすら電話をする毎日でした。

気持ちも張り詰めいっぱいいっぱいでした。

少し仲良くなっていたママ友との連絡も距離ができ孤立。

パートもやめました。

うちは毎晩夫が飲みに行ってほぼ家にいなかったので

全てわたしが一人で抱え込んでいました。

正統派ではない角度で

だからこそ このカテゴリで私は

『役に立つ情報』よりも

『少しでも安心できる話』を書いていきたいと思っています。

不登校の子どもを持つ親御さんに

小さな光を届けられたら,と思うのです。

不登校の子たちは 息子が不登校だった時よりも増加していて

その理由も背景も環境も全く違う

誰もが同じように同じ支援で解決できるわけがなくて

だから我が家の場合という体験に絞って発信したいと思います。

質問などありましたら 是非コメントからお願いします。

あの人は今・・不登校児の息子編。

不登校児だった息子も

隣県で元気に一人暮らしをして

頑張って働いています。

「俺って義務教育卒業してるって言ってもいいのかな?」

そう言って笑う息子を見て

あの頃の苦しさが少し報われた気がするのです。


不登校の頃の話はいろいろな角度から書いていこうと思っています。

また読みに来てくださるとうれしいです。

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