多くの親が
「不登校を乗り越えた」あとに、ふと気づくんです。
「私はこれから、どう生きていけばいいんだろう」と。
子どもが少しずつ動き出して
外に出られるようになった頃、
私はほっとした反面、胸の奥にぽっかりと穴が空きました。
「これから、私は何をすればいいんだろう」
ずっと子どものために生きてきたから、
自分の時間をどう使えばいいのか、
わからなかったのです。
支え合いの時間が、終わったように感じた
毎朝の声かけ、学校への連絡、担任の先生とのやり取り。
そんな日々が少しずつ減っていくと、
「母親としての役割」が小さくなっていくような気がして、
不思議と寂しさがありました。
でも、時間が経つにつれ気づいたのです。
これは“終わり”ではなく、“自分の再出発”の時間なんだと。
「見守る」から「自分を生きる」へ
私は少しずつ、
自分のための小さな行動を増やしていきました。
朝の散歩。
新しい本を一冊読む。
作りたかった料理を試してみる。
そうした日常のひとつひとつが、
「私」という人間を再び育てていきました。
不登校を経験した親の、その先に
子どもの再生のあとには、
親の再生があります。
それは、
“見守る人”から“生きる人”へと戻っていく過程。
不登校は決して「終わる」出来事ではなく
“家族の形を変える学び”だったのだと思います。
いま思うこと
子どもを支えることで、
私もまた支えられていました。
あの時間があったから、
私は自分の人生を見直せた。
子どもを通して成長した私は
これから自分のためにその時間を使う練習をはじめるのです。

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