はじめに
不登校の期間は、親にとっても「孤独」と向き合う時間です。
学校との関係が途絶え、ママ友とも何を話せばいいのか戸惑うようになり
“自分だけが取り残された”ような感覚を覚えることがあります。
私自身も、誰にも相談できずに
静かに疲弊していった時期がありました。
相手の気持ちを考えても相談できませんでした。
けれど今は思います。
孤独は悪ではなく、思いやりの結果だったと。
誰にも話せない“沈黙の時間”
不登校の話題は、どんなに優しい人にも理解されにくいものです。
「○○君なら大丈夫だよ」「そのうち行くようになるよ」
そんな言葉が、かえって心を閉ざす原因にもなります。
だから私は、あえて話さない期間を受け入れました。
沈黙は、心の回復のための防音材だったのです。
誰かに慰めてもらっても心は回復しないのです。
少しずつ、話せる相手を見つける
時間が経つと、少しずつ言葉が出てきました。
・同じ経験をした親とのオンライン交流
・カウンセラーやスクールソーシャルワーカーへの相談
・ブログなどに思いを記す
直接話せなくても、「誰かが読む場所」に書くことで
心が軽くなることもあります。
「理解してくれる人」より「安心できる人」
追い詰められていた時は
「理解してくれる人」を探していました。
でも今は、「安心できる人」を大切にしています。
完全に理解されなくてもいい。
ただ「聞いてくれる」「否定しない」だけで十分。
不登校の親が救われるのは、共感ではなく“安心”なのです。
私はいつも娘たちに安心を貰っていました。
いま思うこと
孤独を恐れず穏やかな気持ちを忘れない。
それだけで、心は少しずつ柔らかくなっていきます。
誰にも話せなかった時間があるからこそ
同じ苦しみを抱える誰かに手を差し伸べられる。
不登校は、親にとっても“人との再接続の学び”。
孤独を抜けた先には、
やさしい気持ちや繋がりが待っているのだと思います。

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