「どうして行けないの?」と聞いていた頃
不登校が始まった当初
私は毎日のように「どうして?」と聞いていました。
「何か嫌なことがあったの?」
「先輩に何か言われた?」
「友達と何かあった?」
答えがほしくて、毎日少しずつ違う聞き方をしていました。
でも、子どもはうつむいたまま。
その沈黙が、私には拒絶のように思えて
私はどんどん追い詰められていました。
無理に言わせようとしていた
今思えば、あの頃の私は「理解したい」と言いながら
本当は解決したいだけでした。
原因さえ分かれば、それを取り除いて
また学校へ行けるはず。
そう信じていたのです。
だから私は
子どもにとってつらい話題を、何度も掘り返してしまった。
「話してくれないと分からない」
そう子どもに言いながら
本当は私が「聞ける状態」ではありませんでした。
私が追い打ちをかける
しばらく理由は聞かないでおこう。
そう思っていても2日くらいで限界になるのです。
「なにがあったの?」
聞かないつもりだったのに
せっかく少し部屋から出てこられたのに。
追い打ちをかけて聞いてしまったとき
子どもはまた無表情になって
無言で部屋に戻っていきました。
私は「学校に行かせること」しか考えていなかった。
子どもの行けない気持ちを
いっさい見ていなかったのです。
子どもの世界のスピード
無表情の中の悲しい目が忘れられなくて
焦る気持ちをぐっと飲み込み反省します。
子どもの時間は、親が思うよりずっとゆっくり流れている。
そのスピードに合わせることが、
「見守る」ということなのだと感じました。
不登校の親として
待つことがどれほど難しいかを知ったのもこの頃です。
いま思うこと
親が焦っても、子どもの世界は変わらない。
でも、親が落ち着くと
子どもの中にほんの少し“安心”が戻ってくる。
私ができることは
「行けるようにする」ではなく
「安心して休めるようにする」ことでした。
あの頃一番大切だったのは
味方で居ることと笑顔だったのかもしれません。
その日から、私の中の焦りは少しずつ静まっていきました。

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