変化しないことも受け入れる──不登校の時間にも意味がある

静かな日々を受け入れる──“何も起きない”を怖がらない練習

我が子の不登校の期間が長くなるほど

「何も変わらない日々」が怖くなります。

昨日と同じ。今日も同じ。

気持ちだけが焦ります。

そしてその期間がまるで“後退”しているように思えてしまうのです。

「このまま取り戻せないのではないか。」と考えたり

周りからおいていかれているような気がして

胸がざわつく日もたくさんありました。

だけど、止まって見える時間にも意味がありました。

止まっているようで、実は回復している

子どもが部屋にこもっていても、

その期間は我が子の回復時間になっています。

睡眠リズムが戻る。
イライラが減る。
短い会話が戻る。

外からは小さな変化だけれど

中で起きていることは「再起動の準備」なのです。

「動けない」ではなく「休んでいる」

私はある時から

「今日は何もできなかった」ではなく

「今日は休めた」と考えるようにしました。

今日も少し回復した

それだけで、心の重さが半分になった気がします。

焦るより、休めることを肯定する。

これは不登校期の『親の最大の仕事』かもしれません。

回復のサインは静けさの中にある

無言の時間、ため息、寝る時間の変化。

それらは、何も起きていないようで

「エネルギーをためている合図」だったと、

後から気づきました。

だから、親が静かな時間を怖がらないこと。

それが、回復を早める近道になるのです。

いま思うこと

動きがない日は、“芽の出ない種”のようなもの。

地面の下で、確かに根は伸びていました。

見えない時間を信じられるようになると、

不安よりも、少しの静けさに感謝できるようになります。

辛い時間もきっと報われる。

親がそう信じるようになったとき

子どもの目にも少しずつ光が戻ってくると思います。

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