学校からの電話が怖かった
不登校が始まってすぐの頃
学校とのやり取りにどう向き合えばいいのか分からず
私は毎日スマホの着信音にビクビクしていました。
「今日も先生に何て言えばいいのかな」
「また学年主任からかかってくるかもしれない」
電話の音が、まるで警報のように感じていました。
それまで通わせていた学校が
一瞬で「怖い場所」になったのです。
先生にどう説明すればいいのか分からなかった
最初のうちは「体調が悪くて」と言い続けていました。
でも数日が過ぎ、1週間、2週間と経つうちに
言い訳が尽きていく。
不登校の親として何をどうすればいいのか分からず
自分が責められているような気がして
心がどんどん縮んでいきました。
私はずっと先生に謝る日々でした。
「休んでいる理由」を聞けなくてごめんなさい。
「通わせないといけないのに」送り出せなくてごめんなさい。
「先生に負担をかけて」ごめんなさい。
先生が気にかけてくれればくれるほど
色々なごめんなさいがありました。
静寂の我が家
子どもは部屋にこもり
私はリビングでため息ばかり。
外に出る気にもなれず
テレビの音だけが流れていました。
それまで元気に登校する我が子が当たり前だった毎日が
静かで重い空気に変わる。
あの時間の流れ方はいまでも忘れられません。
それでも少しずつ“自分の時間”を取り戻した
「子どもを休ませること=親の責任」
そう思っていた私が
ようやく少しだけ変われたきっかけがあります。
進級して新しくなった担任の先生が
「連絡は最小限のほうがいいですか?」と聞いてくれたのです。
その一言で、張り詰めていた糸がぷつんと切れました。
正直言うと本当にありがたかったのです。
たくさんの考えることややることの中から
学校への連絡や対応が薄くなること。
これは私にとってかなりの負担減になりました。
そしてそれを聞いてから
私は眠れなかった夜を卒業できました。
起きた時、空が明るく見えたのを覚えています。
いま振り返ると
あのとき私は不登校の原因を探そうと必死で
そればかり必死に考えていました。
けれど、本当に必要だったのは
親自身が立ち止まる勇気だったのだと思います。
「焦らなくていい」
「今は、休む時間」
そう言葉にできるようになるまでには
時間がかかったけれど、
その時間が、確かに私たち親子を守ってくれました。

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