私の中の再生──子どもを変えようとしていた私へ

あの頃の私は、

「子どもを立て直すこと」が自分の役割だと思っていました。

何かをしてあげなければと、いつも力が入っていました。

けれど、不登校という時間の中で

本当に必要だったのは

子どもを変えることではなくて

自分を整えることだったと気づきました。


焦りを手放すと、静けさが戻ってきた

子どもが動かないとき

私はいつも「何かしないと」と焦っていました。

でも、焦りを手放してみると

私の心も軽くなっていることに気が付きました。

何もできない時間は

何もしなくていい時間でもあったのです。

無理に動こうとしても

変わらないことが多いと知りました。


比べない練習を始めた

学校の通信や部活へ行く同級生を見て

「なんでだろう」と胸が痛くなっていました。

でも、ある日ふと思いました。

「この子のペースは、この子だけのもの」

スタートもゴールも

歩く道もみんな違って当たり前なのです。

そう思えた瞬間、

比べることの意味が薄れていきました。


私自身の生き方も変わった

我が子の不登校をきっかけに

「自分のための時間」を少しずつ取り戻すようになりました。

本を読んだり

映画を見たり。

ちいさな自分の時間を持つことを覚えました。

子どもを通して、

私は生き直しをしていたのかもしれません。


いま思うこと

子どもの不登校は

私にとって自分を見つめ直す時間になりました。

立ち止まることの意味。

焦らずに生きることの強さ。

自分を信じるということ。

あの経験がなければ、

今の私はいなかったと思います。

不登校の息子に罪悪感を持っていた私。

世間に後ろめたさを感じていた私。

だけど

あの時間が私を成長させていました。

そして我が子ももちろん

たくさんの成長をしていたのです。

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